ちょっと懐かしのお蔵だし車両となりました、かつて京都線で活躍した2300系です。阪急で最後の菱形前パン装備の車両でした。
1960年登場で、現在の阪急電車の礎を築いた名車です。第1回のローレル賞に輝いています。この車両の基本設計と車内思想は1000系にまで受け継がれています。
3300系と並びました。こう見てみると、やはり幅の違いがわかるかと。晩年に残った車両は全て表示幕改造が行われたり、界磁チョッパ制御化されたりで色々進化しています。ちなみに、2300系は阪急に残った最後の新幹線の線路を走った私鉄車でした。要するに、新幹線0系よりも早く東海道新幹線上を走った車両でもあります(^^;; まぁ詳しいことは省略しまして、神宝線で活躍していた2000系列は能勢電鉄に譲渡された車両を除いて引退をした中、この2300系は最後まで本線で頑張ってきました。
桜と共に。
前面が未改造で残る車両は、一部中間車に押し込まれている(それも乗務員室としては残っているが運転台は撤去されている)他、正雀工場にトップナンバーが保存され、新造車両の誘導障害試験に使用されています。
高架化された洛西口駅へ進入する2300系。なんとか高架化後も残りました。全線高架まで生き残れなかったのが残念ですね・・。
登場から半世紀以上が過ぎた2300系も、2015年3月22日の貸切運用を以って遂に引退となりました。それまでは2313Fに旧社章の貼り付けを行った特別装飾を施した上で普段通りに運用され、時には画像のように本線7連準急でぶっ飛ばす運用にぶち込まれておりました(^^;;
ステッカー式ではありますが、京阪神急行時代の社章も復活しています。
車内全景です。50年間走り続けてきた同車ですが、多少のへたりが見えるものの他系列と比べてほとんど変化の無い車内でした。それだけこの系列が完成された車内で登場しているともいえます。
ドアです。ここだけ見ればどの系列の画像を持ってきてもわからないですが・・(^^;;
足元を見ると3300系に幅を合わせるためにステップが取り付けられています。このステップを取り付けた影響で、神宝線に乗り入れることが出来なくなってしまいました。
天井です。冷房改造時のままです。スポット型の吹き出し口から出る風はちょっと弱く、スイープファンが恋しくなったのもまた思い出です。
最前面です。相変わらずの大きな窓で前面展望が可能となっています。
さてこちら、中間に押し込まれている乗務員室、運転台撤去車です。乗務員室跡は立ち席スペースとなっていました。また一部の車両には簡易運転台が設置されています。常に薄暗いので若者に人気です(笑)
さてここからが2300系のディープゾーン。あまり取り上げられないですが車端部のバリエーションの多さは群を抜いていました。まずその一、こちらは2000系列本来の車端部です。幅広い貫通路が特徴です。
こちらその二。こちらはよく見る普通の阪急の車端部です。登場当時は全てその一だったと思うので、後年の改造でしょう。
その三。車両によっては仕切り扉の窓が拡大された箇所も存在します。日焼けで一部色あせてしまっているのが気になります。
その四です。なにやら急に物々しくなりました(^^;; 仕切り扉の取り付けは風の通り抜けを防ぐものであり、全ての車両に取り付ける必要は無いため、片方はアダプタを取り付けることにより狭い幌とつないでいます。
その五です。窓の幅はそのままに、柱を太くして幌に合わせたタイプです。窓が小さいままなだけに、少々鈍重な印象は否めませんねぇ・・。
窓です。この時期の車両にして一段下降窓を採用しているのはかなり珍しかったのではないでしょうか。日除けを上げるのを忘れていましたが、お馴染みのアルミ鎧戸です。最近ではリニューアルや新車導入ですっかり少なくなってきたように思います。
座席です。全てロングシートで、ドア間のこちらは8人掛けです。モケットは貼り替えられていないようで、6000系以降のモケットと比べると色あせている感があります。座り心地も少し切り立った印象です。
最前面の3人掛け、かぶりつき専用席です。運転台撤去車であれば壁が残されており窓が取り払われただけなので、肘を置く事もできます。
最後に5人掛けです。優先座席に設定されている区画もありますが、モケットの変更はされないまま終焉を迎えました。
55年間、お疲れ様でした。