かつて陰陽連絡線の一端を担っていた木次線。同線を走行した急行列車が廃止された結果典型的なローカル線となってしまったわけですが、ヤマタノオロチ伝説が息づく奥出雲を走ること、沿線の景観の素晴らしさに定評があるということで観光列車が走っており、奥出雲観光の定番となりつつあります。
「奥出雲おろち号」、非電化単線を走る客車列車のため、ディーゼル機関車が動力となっていました。基本的に木次-備後落合間の運転ですが、日曜日を中心に備後落合行きのみ出雲市からの運転となっておりました。この場合、種別は普通列車ながら宍道-木次間で三つ程通過駅が存在しました。
ジョニー曰く、「JR西日本で唯一異次元体験が出来る列車」だそうです。え、ジョニーって誰だって?それは乗ってのお楽しみです(いないかもしれませんが)。
牽引機は専用塗装となったDE15形2558号機です。後藤総合車両所に所属し、運用がある日は木次鉄道部に駐在していました。
もともと冬季のラッセル列車用として登場した機関車なので、前面にはラッセルヘッドを取り付けるアダプタが設置されています。ナンバープレートをぶったぎってますね(笑)
キャブ上部、金の駒のようなものがクルクル回っています。
乗務員室が開いていたので一枚。運転席は入れ換え等を考慮して座席が横向きに配置されています。
先頭にはヘッドマークも取り付けられています。2016年は、木次までの先行区間開業から100年を記念したオリジナルヘッドマークでした。
さて、私のメインはこちら、運転終了の理由となった後ろにぶら下がる2両の12系客車です。塗装が青一色からカラフルなものに塗り替えられています。機関車を含めた3両編成で、画像は備後落合方のトロッコ車両です。こちら側には運転台が付いており、備後落合行きでは木次・出雲市方の機関車を遠隔制御して運転します。しかしこの客車の名は「スハフ13-801」、運転台のことは見事に無かったことにされてます。今改造されると「スクハテ」みたいなのになるんでしょうね(^^;;
トロッコ車両らしく窓ガラスは取り払われ、開口面積を更に広げています。
山陰地区でも屈指の秘境へ向けて運転されるため山陽方面からのアクセスは皆無に等しいですが、2010年代あたりまでは「奥出雲おろち号」が運転される時に限り、三次から備後落合行きの臨時普通列車が運転されていました。
それではまいりましょう、まずはトロッコ車両、スハフ13-801の車内です。ほとんど原型を留めない程に改造を受けており、「奥出雲おろち号」らしい装飾も施されています。
ドアです。ここは従来通りの折戸となっています。折戸くらいは同線を走るキハ120でも見ることが出来ますが、「そんなのとは格が違うんだ」と言った元優等種別車両らしい雰囲気が漂います。
車端部です。こちら側には出入口は有りません。仕切り扉もありますが、普段は開けっ放しにされています。
最前面です。運転台は横幅の1/3を使用しており、残りは客室として開放されています。同じ半室構造でも、キハ120あたりと比べると横幅もかなり広めです。窓は二段式となっており、上段は開閉可能となっています。普段は閉まってますが…。
天井です。かつてあったであろう冷房装置は「けしからん! 」と言わんばかりに撤去され、中央にランプ風の電灯が間隔をあけて設置されています。見た目的にもほとんどのトロッコ列車で見られる骨組みを露出したワイルドなものではなく、化粧板仕上げでオシャレに見えます。この辺り、「ワイルド」だけをウリにしてるわけじゃないんだなぁと思わせられる次第。
肩部分には星座と各駅に掲出されたヤマタノオロチ伝説に関わる人のイラストが描かれています。
側面です。柵と柱のみ、それ以外は何もない吹きっさらしの空間です。雨天でもお構いなしにそのままゆったり走ります(^^;;
座席です。トロッコ列車ではもうお馴染み、木で出来たボックスタイプのクロスシートが並びます。
というわけでボックスシートです。急行型客車時代よりもボックス間シートピッチは広げられています。背ズリも高めになっていますが、座り心地は見た目のまんまです。しんどくなったら後ろのスハフ12に行きましょう。
中央には固定式のテーブルが設置されています。九州のような開けば面積拡大、と言った機能は有りません。窓側にはカップホルダーが人数分設置されており、中央は据え置き式、外側は跳ね上げ式となっています。
車端部に近いボックス4組は変則的な座席配置になっています。こちらも同等の4人掛けですが、背ズリは少々低めです。
テーブルは窓側据え付けです。カップホルダーも固定式が二つ。
自動販売機です。わずかながらも需要はあるようです(わずかな理由は後述)。
その向かい側の開放式業務スペースです。木製の椅子とアンケート用紙入れ、ポスターを入れるホルダーがあります。特にアンケートはやってなかったですが…(笑)
ゴミ箱です。開口面積が狭められた独特なものです。
島根観光の主幹として認知されているようで、しまね景観賞を受賞しています。
その向かい側には乗車人数記念プレートが設置されています。2016年には通算10万人を突破しているようです。
最前面にはスタンプ台と用紙が備えられています。乗車時には1枚どうぞ。
続いて編成中間のスハフ12-801へと参りましょう。この車両は定員外の控車で、雨天時は吹きっさらしとなるトロッコ車両の避難場所となります。全席指定の奥出雲おろち号、実質販売されるのは1両分なので指定席を取るのは中々難しい列車でもあります。また団体が列車丸ごと枠を事前予約して占有することもあり、一般発売ではどう頑張っても指定席が取れない場合がありました。
外観は塗装以外変わらないように見えますが、この車両はかつて大阪-出雲市間を結んだ夜行急行「だいせん」の座席車に使用されていた3000番台唯一の生き残りで、3000番台時代はトップナンバーを名乗っていました。最後は800番台となり、この観光列車で車歴を終えることとなりました。
デッキです。「フ 」の形式らしく、車掌室が両側に配置されています。貫通扉を開いて中間に連結することも出来るようになっています。機関車のラッセルヘッドのアダプタも間近に見ることが出来ます。
くずもの入れです。書きぶりは国鉄ですが、なんだか少し違和感…。
トイレです。大きなマークを貼って分かりやすくしています。中はやっぱり和式のままです。
その横には鏡が設置されています。急行時代の遺物ですね。
連結面の仕切り扉です。形状はそのままですね。奥のトロッコ車両とは形式は同じでも雰囲気は全く異なります(^^;;
車内です。12系なのにも関わらず、なんとリクライニングシートが並んでいます。急行「だいせん」投入時の3000番台化でこのようになったそうで、「だいせん」がキハ65形エーデル仕様車に置き換えられた時から配置は変わっていないとのこと。ちなみにこの車両、トロッコ車両と座席数がピッタリ一致しているため、雨天時はトロッコ車両と同じ座席番号の席に座ることが出来ます。
デッキとの仕切りです。仕切り扉部分のみ化粧板の色を変えており、視認性を向上しています。
天井です。こちらは冷房完備で通風器も残っており、青い急行型客車時代の面影をよく残しています。
窓です。二段窓で、上段・下段共に開閉することが出来ます。いや、開けるくらいならトロッコ車両行けって話ですが(^^;;
座席です。「12系客車=ボックスシート」という概念を持っている人からすれば「何があった」的な感じで並んでいますが、この座席の出自は北陸本線系統で走っていた485系のフリーストップ式リクライニングシートへの改座に伴い発生したもので、やはり急行とはいえ料金も取る夜行列車でボックスシートというのも時代的に問題がありますよねぇ、ということで持ってきたのでしょう。え、「きたぐに」?あれは構造上の問題ですから許してあげましょうよ・・。
座席自体は現在もJR東日本189系で見ることが出来る簡易リクライニングシート由来のそれで、リクライニング機構はストッパー付で回転機構も生きていますが、トロッコ車両が4人組ボックスシート配置となっているため、こちらの座席もデフォルトではボックス配置でセットされています。
なお窓はボックスシート時代から変わっていないため、場所によってはこのように柱にガッツリ被ってしまう区画も・・。座り心地はトロッコ車両や同線を走るキハ120のボックスシートと比べれば雲泥の差、普通列車に対する指定席と捉えれば悪いものではありません。そりゃあ昨今のリクライニングシートと比べれば着座位置が判然としない座面に硬めなヘッドレスト部分と大いに不満が残るそれですが…。
窓側には木製のテーブルが設置されています。「だいせん」時代から窓側にテーブルの類はあったと思われますが、やっぱり簡リクのデメリットは座席周りにテーブルが無いことです。
デッキ仕切り際に関しては固定テーブルが設置されています。とは言え、ボックス配置がデフォルトなのでこの設備もイマイチ持て甘し気味です。
![](http://stat.ameba.jp/user_images/20240101/17/seventhheaven1992/d5/f4/j/o1080081015384390534.jpg)
景色を見ながら地元で販売されるグルメを楽しみ、風を受けながら進んで行ったかと思いきや突然の雨に見舞われ、夏の草木が伸びた状態で伐採も十分でないローカル線を走るもんだからトロッコ車両に木がバシバシぶつかり時には枝が車内に飛んできたり・・。五感をフル活用することが出来る非常に内容の濃い列車でした。後任として山陰本線の観光列車、キロ47形「あめつち」が木次線の観光列車を引き継ぐこととなりましたが、運転本数が少なくなること、鈍重なキロ47では急坂を登れないことから出雲横田までの運転となるため、木次線のハイライトである三段スイッチバックやおろちループが見られないという、「運転すりゃあいいってもんじゃない」と突っ込みたくなる状況となります。三江線の廃線や列車本数減でキハ120形も余ってるでしょうに、加工がしやすい200番台辺りを改造して同程度の観光列車を作ってあげても・・と思ったりしますが、そんなお金が出せないですねこの会社‥。
束の間の折り返し時間に佇む青と白のおろち号。日本屈指の秘境ジャンクション駅、備後落合を出発します。長年に渡る活躍、お疲れ様でした。なお、最後まで動力車として残ったDE10形に関しては、もうしばらく工事用牽引車として残るとのことですので、末永い活躍を期待します。