菱形パンタの前パンもなかなか珍しい存在になりました。阪急2300系です。1960年登場で、現在の阪急電車の礎を築いた名車です。第1回のローレル賞に輝いています。この車両の基本設計と車内思想は9000系にまで受け継がれています。ちなみに、2300系は現存唯一の新幹線の線路を走った私鉄車です。要するに、新幹線0系よりも早く東海道新幹線上を走った車両でもあります(^^;; まぁ詳しいことは省略しまして、神宝線で活躍していた2000系列はわずかに3000系列に組み込まれたT車と能勢電鉄に譲渡された車両を除いて引退をした中、この2300系は未だに本線で活躍しています。本線普通のほか、梅田-北千里の直通と、本線の準急でも運用されぶっ飛ばすこともあります。
3300系と並びました。こう見てみると、やはり幅の違いがわかるかと。現存車は全て表示幕改造が行われたり、界磁チョッパ制御化されたりで色々進化しています。非表示幕車は一部中間車に押し込まれている(それも乗務員室として残っているが運転台は撤去されている)他、正雀工場にトップナンバーが保存されています。
高架化された洛西口駅へ進入する2300系。なんとか高架化後も残りました。全線高架まで生き残られるでしょうか・・。
車内全景です。50年間走り続けてきた同車ですが、多少のへたりが見えるものの他系列と比べてほとんど変化の無い車内です。それだけこの系列が完成された車内で登場しているともいえます。多少のマイナーチェンジを経て8300系まで同じような車内で登場してますし。
ドアです。ここだけ見ればどの系列の画像を持ってきてもわからないですが・・!
足元を見ると3300系に幅を合わせるためにステップが取り付けられています。このステップを取り付けた影響で、神宝線に乗り入れることが出来なくなってしまいました。まぁ9000系が増備されている今その必要はなくなりましたが・・。
天井です。冷房改造時のままです。スポット型の吹き出し口から出る風はちょっと弱いです。スイープファンがほしいところ。
最前面です。相変わらずの大きな窓で前面展望が可能となっています。
さてこちら、中間に押し込まれている乗務員室、運転台撤去車です。乗務員室跡は立ち席スペースとなっています。また一部の車両には簡易運転台が設置されています。常に薄暗いので若者に人気です(笑)
さてここからが2300系のディープゾーン。あまり取り上げられないですが車端部のバリエーションの多さは群を抜いています。まずその一。こちらは2000系列本来の車端部です。幅広い貫通路が特徴です。
こちらその二。こちらはよく見る普通の阪急の車端部です。登場当時は全てその一だったと思うので、後年の改造でしょう。
その三。車両によっては仕切り扉の窓が拡大された箇所も存在します。日焼けで一部色あせてしまっているのが気になります。
その四です。なにやら急に物々しくなりました(^^;; 貫通扉の取り付けは風の通り抜けを防ぐものであり、全ての車両に取り付ける必要は無いため、片方はアダプタを取り付けることにより狭い幌とつないでいます。
その五です。窓の幅はそのままに、柱を太くして幌に合わせたタイプです。窓が小さいままなだけに、少々鈍重な印象は否めませんねぇ・・。
窓です。日よけを上げるのを忘れていましたが、お馴染みのアルミ鎧戸です(殴
座席です。全てロングシートです。こちらは8人掛け。モケットは張り替えられていないようで、5000系以降のモケットと比べると色あせている感があります。座り心地も少し切り立った印象です。
先頭の3人掛けです。かぶりつき専用席です。運転台撤去車であれば、壁が残されており窓が取り払われただけなので、肘を置く事もできます。
最後に5人掛けです。優先座席に設定されている区画もありますが、モケットの変更などはされていません。
既に初期車は廃車されていますが、現存車も45~50年が経とうとしています。9300系により一部が置き換えられましたが、特急車として製造されたこともあり、矛先が6300系に向けられたため未だに生き残っている格好になります。しかし、新系列1300系の増備が決定した今、予断を許さない状況にあります。乗車・記録はお早めに。
取材:北千里駅